信じる必要のないこと

これを書きはじめたのはまだ寒さ残る春のこと。書き終えた頃はコロナウイルス感染の広まりがありまして、そのような時期に合わない内容かもしれないと公開を見送りました。

今尚感染者数は増えていますが、重症化している方が少なくなっているようなので今このタイミングで公開いたします。

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最近近しい人たちから「私はこれを信じてる」という言葉を何度も聞きまして、少々気になったものですからお話しさせてもらいます。

「信じてる」

「信じてる」という言葉の対象は常用している健康食品やボディワーク、そしてちょっとスピリチュアルなことだったのですが、少し不思議に思った私は「信じてる、その根拠はなぁに?」と聞きたくなり一部の人には聞いてみました。帰ってきた言葉は「あの人の言葉だから」「そう思っているから」といったものでした。

信じる…あの人の言葉…自分がそう思っている…それはなんだろう?もしかして信じたいのかな?自分がやっていること(摂っている・体を動かしている・判断している)は間違いないことだと思いたい…そういった気持ちが強いのかな?と思いを巡らせたのでした。

”信じる”は必要ないと感じています

太極拳を学ぶなかで体を動かす基準、更に様々な判断をする思考までも太極拳と気功が基準になっている私ですが「太極拳のことを信じてはいません」とインパクトのある言葉を発してしまいます。

ですが言葉は色々な意味で受け取れるので補足します。
「信じてるのではなくて本当の事(効果ある事)と”実感しています”」と。

実感するまでの道のり

これまで先生から教えていただいた事はそれまでの私の常識にない事柄が少なくありませんでした。なかには「本当かな〜?」と疑ってしまう内容もありましたがコツコツと練習を続け身につける段階で必ずできるようになり「あ、本当だ」と実感することができました。

また自分自身のことをあまり信じていないので実感するまでの間「それは本当にそう感じたの?そう思いたい気持ちが働いていない?」と何度も何度も問いかる癖があります。

今でもそのパターンは変わりなく、信じようとすることはなく(大変失礼なことではありますが)自分への問いかけと練習の繰り返しの後、身に付けた時に「本当の事だ」と実感してきました。

そして伝える立場になり生徒さんたちも粘り強く練習を続けていくなかで身につけ「あ、本当だ」と実感していく姿を見せてくれています。皆同じなんだな〜と客観的な視点でも信じるという言葉が必要ない事を実感させてもらっています。

こういった経験を通して”実感している”ので盲目的に信じる(=盲信)必要がありません。
つまり信じるのではなくて、実感・納得=自分に対して証明し”腑に落ちている”のですね。なので私は「◯◯を信じている」という事はなく、言葉にすることもありません。

でも腑に落ちると自然と信じる心も生まれてくるもので…これが本当の”信じる”ということなのかな?と感じたりもしています。人は時にややこしく面白いものですね〜。

ただやはりその状態は盲信とは違いますね。だって出来る解るようになっている訳ですから、そこに”不思議”はないし”不安”や”信じたい”ももちろんありません。

今回伝えたいこと

話が少し長くなりました。今回伝えたいことは「講師としての私や太極拳、そして気功のことを”信じようとする”必要はありません」ということです。

ですがそれと共に「自分自身で大きな効果あることを実感してください(コツコツと練習して知ってください)」というメッセージです。

私のところに通ってくださっている皆さんはもちろんのこと、ご興味ある方もぜひ。

すわっこランドの太極拳講座や「諏訪湖で朝活。太極拳」など繰り返し体験しやすい環境が整っています。ぜひチャレンジしてみてください。